奴隷制度で過ごした幼少期の話聞いてみる?

「今村君のお弁当おいしそーー」って

女子から言われたあの日。

その時の女子の顔があれね。

意地の悪ーーい顔。

しかし笑顔。

あれ以来、ふたで隠して食べたお弁当。

 

私のお弁当は基本茶色。

ご飯には黒ごまじゃ無くて白ごま。

どれだけ色を統一したいんだと。

母はどれだけ茶色が好きなんだと。

芋の煮っ転がしは好きだけど

弁当には不向きなわけ。

100歩譲っても

せめてミドリのバランは入れて下さいって。

 

ここのへんで気づいたわけ。

ひょっとして家って貧乏なの。

そう言えば毎月職員室に一人呼ばれて

現金の入った封筒を渡されていたのは何?

先生が私を見るときの

可哀想な子を見る目は何?

 

長崎県大村市松原餅の浜

59年前ね。

生まれは長崎県大村市の外れ。

Googleマップで見たらまだ建ってるわー。

屋根曲がってるわー。

右側が当時の国鉄線。

始発から終電までガタンゴトンガタンゴトン。

左側が国道。

高速道路が出来る前は長崎への入口。

夜は一番中トラックが走る道。

 

もうね。

人間の住むとこかってね。

今思えばすごいとこ。

ちなみに小学校は5回、転校ね。

ほぼ毎年転校。

どんな転勤族にも負けない小学生よーって。

しかも引っ越しはなぜか深夜。

いや、待って。

友達にお別れの挨拶してない。

手紙出すからーって言ってない。

深夜じゃ友達が見送りに来られない。

僕のことを好きな女子から

「今村くーん!あとで読んでー!」

って手紙をもらってない。

 

あれ?

これって夜逃げに似てない?

家財道具と一緒にトラックの荷台に

乗ってるっておかしくない?

 

毎晩のように繰り返される夫婦げんか。

もうねドラマかー!ってぐらい。

酒も飲めないのに家計を助けるために

母はスナック勤め。

父の稼ぎが悪いので働いているのに

母が客と仲良くなると焼き餅焼いて大げんか。

ついにたまりかねた母は離婚。

 

しかし父は私を手放さなかった。

いや、ここは手放して欲しかった。

親戚に預けたり孤児院に連れて行くぐらいなら

手放して欲しかった。

 

そんなこんなで色々あった幼少期を過ごした

私も小学校5年生。

時は満ちたと悟った父親は

私を新聞配達少年へと。

ここから私の労働者としての道が始まったわけ。

年子の弟がいたのだけど一緒に労働の道へ。

弟なんてまだ小学4年生ですよ。

父親の「子供とは言えタダ飯は食わせんぞ」と。

ここまでタダで育ててあげたのだから

頑張って働けと。

 

新聞販売店に余っている自転車はなかったので

配達は歩き。タスキで新聞をからって歩き。

銅像で見た記憶があるような姿。

戦後の孤児かーーってね。

 

毎月の給料はそのまま父親へ。

弟と二人、納得はしてないが渡すしか無い。

じつはこの時、父親は再婚していた。

この母とも毎日のように夫婦げんか。

もうね、度を超えた夫婦げんか。

殴る蹴るは当たり前。

プロレス中継かって。

リング無いですよーーって。

お願いだから止めてーーって。

祈りながら布団の中にいるわけ。

しまいには台所から包丁持ち出して

母の顔をズバーーって。

プロレスならタオル投げてギブギブってするところ。

投げたくとも怖くて投げれない私。

平気で寝ている弟。

面白がってカセットに録音しようとする姉。

ちなみに姉は母の連れ子。

一体何なんだこの家族は。

 

こんなの見せられたら黙って給料差し出すってね。

包丁で切られたくないしね。

茶色が主体の弁当だって文句言えないって。

包丁で切られたくないしね。

 

絶対君主の父に逆らえるはずも無く

ただただ搾取される奴隷のような生活から

解放されるのはずっとずっと先の話。

 

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